「言葉」というものは本当に偉大で、世界を変える力すら持っています。それは否定のしようがありません。私自身も言葉を愛し、大切にしています。 一方で、人と人との間には、言葉を超えた繋がりもあるはずです——赤ん坊が母親の目を見るだけで、自分が安全であること、愛されていることを感じるように。 そして当たり前のように言葉に溢れた私たちの世界では、そのような絆に気づくことがとても難しいように感じてなりません。 言語が私たちの意識を形作り、「言葉は命」とも形容されます。その命を投げ捨てたなら、あるいは私たちは、心と心、魂と魂が言葉を超えて共鳴するような、そんな純粋な輝きを目にすることが出来るのかもしれない——これが本作THE QUIET MANの根幹にある想いです。 言葉を捨てて、それでも残る、そして伝わる想いだけが、本当に大切なことのはずなのです。
「THE QUIET MAN」は、スクウェア・エニックスブランドにはなかった極めて「インディ」なタイトルです。昨今、多くの大型タイトルが、正しいと証明された決まりごとの範囲の中で、同じことを繰り返しているように思えてしまうことがあります。 そして一方で、インディデベロッパー達の方が、大きなパブリッシャーよりもクリエイティブで、はるかに挑戦的であるように感じられるのです。それは最先端の技術的な挑戦、ということよりもむしろ、ビデオゲームというデジタルエンターテイメントの在り方そのものに対する、自由で純粋な提案に満ちています。 私自身、所謂AAAと呼ばれる、長い年月と莫大な予算を以て築き上げられる超大型タイトルも大好きで、自社・他社問わず、心から楽しみにしているシリーズ最新作も多くあります。偉大な先人達が作り上げたアイデアを巨体なチームが一丸となって磨き、そして昇華を続けることは、とても気高く困難な道に違いありません。 ですが、すべてのゲームがそうでなければならない筈はありません。そして何より、SQUARE ENIXのプロデューサーであるということが、既存の正解を無視するような挑戦を恐れることを、肯定していい筈はないのです。 「音や言葉を排する」という無謀なコンセプトに加えて、THE QUIET MANは新しいバランスを模索したタイトルでもあります。1,800円という映画基準の価格、その価格に見合わないグラフィッククオリティ、それを実現させるために踏み切った「約3時間」という極端なコンパクト設計、物語を味わい解き明かすことを主軸とした「観ること」と「触ること」の大胆な比重設定――― 馬鹿げていると笑われることを覚悟した、私たちの挑戦です。 THE QUIET MANはとても小さなゲームです。どこから見ても七色に輝きを放つような、豪華絢爛な宝石箱ではありません。それでも、私たちの小さなチームにとって不相応なほどの挑戦に満ちたこの小さな小さな石が、お客様の誰かの心の奥で一粒のダイヤモンドのように輝くことがあるなら、それに勝る喜びはありません。
運命の夜、本当は何が起きたのか―
言葉を捨てた先に残るものこそが真理ならば
言葉が紡ぎだす真実の力にも、抗えるのでしょうか
溢れる言葉に惑わされず、本当に大切なものを見つけたい
そしてそれだけを正直に、大切に見つめたい—
その願いを込めて、言葉を排した物語を作りました
ですがこのテーマを描くには
どうしてもそれだけでは足りませんでした
そう、“もう半分”が欠けていたのです
発売からおよそ1週間後、無料のアップデートを経て
THE QUIET MANは生まれ変わります
音と言葉を宿した禁断の2周目
THE QUIET MAN
―ANSWERED―
物語は真の姿を現し
解けたはずの謎が根底から覆るかも知れません
「何もわかっていなかった」と
言葉を捨てた一周目
言葉を宿した二周目
変貌する物語———
これが揃ってはじめて
本作の体験は完結します
そして皆さんと共に、問いたいのです
私たちは言葉を得てもなお
言葉など要らないと言えるほどに
強くいられるのでしょうか
言葉に溢れたこの世界で
言葉を越えた大切な何かを
見つけられるのでしょうか